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ジュ ブリーレ鹿児島 : ミニ英和和英辞書
ジュ ブリーレ鹿児島[しま]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
鹿 : [しか]
 【名詞】 1. deer 
: [じ]
  1. (n-suf) child 
: [しま]
 【名詞】 1. island 

ジュ ブリーレ鹿児島 ( リダイレクト:ジュ ブリーレ 鹿児島 ) : ウィキペディア日本語版
ジュ ブリーレ 鹿児島[じゅ ぶりーれかごしま]

ジュ ブリーレ 鹿児島(ジュ ブリーレかごしま)は鹿児島県鹿児島市を本拠地とする女子サッカークラブチーム。2008年鹿児島鴨池フットボールクラブアサヒナ(かごしまかもいけフットボールクラブアサヒナ)として日本女子サッカーリーグに準加盟し、2009年から2013年まで正式加盟した。
== 概要・歴史 ==
1992年、鹿児島県で初の女子サッカークラブチーム「FC ASAHINA(FC.アサヒナ)」として創部。
2003年3月、少年サッカークラブチーム「鴨池フットボール」と合併し、「鹿児島鴨池フットボールクラブアサヒナ」となった。
九州女子サッカーリーグには1997年の第1回大会から出場。しばらく下位に低迷したが2005年に2位になり、翌2006年に初優勝を果たした。同年の第28回全日本女子サッカー選手権大会の出場も決定となり日本女子サッカーリーグへの加盟申請条件を達成したため、同年10月にリーグ加盟申請をしたが、資金不足などを理由に見送られた。
2007年にも優勝し第29回全日本女子サッカー選手権大会に連続して出場を決定したため、再度のリーグ加入申請した結果、同年12月9日に、日本女子サッカーリーグ2部へ2008年に準加盟チームとして参加することが決定した。
2008年10月14日、日本女子サッカーリーグ臨時評議会にて正式に2009年日本女子サッカーリーグの入会が認められた。
2009年、一般公募162通より選ばれた「ジュ ブリーレ鹿児島(Je Vrille〔vrille( ヴリーュ)は、フランス語で「」「ドリル」、または、「巻きひげ」という意味。〕 Kagoshima)」に改称し、県民チームとして新たにスタート。新球団名は、フランス語で「光る」「輝く」という意味の自動詞 ''briller'' ( ブリエ)を用いた「私は輝く」という意味の文章 "Je brille" ( ジュブリーュ)と、英語で「勝利」を意味する "Victory" ( ヴィクタリ)を組み合わせた造語であり、「鹿児島の希望の光として、いつまでも輝きながら勝利を」という願いが込められている。
2010年のリーグ改編によりチャレンジリーグ(2部)からなでしこリーグ(1部)への昇格権利を得ることが可能な「なでしこリーグ準加盟」資格を得る。
2013年、主力選手の移籍などで苦戦が続き成績は低迷。リーグ戦では1勝1分20敗の成績で16チーム中15位となり、2013チャレンジリーグ入替戦に参加。11月17日に行われたアンジュヴィオレ広島中国女子サッカーリーグ)との入替戦で0-3で敗れ、チャレンジリーグからの降格が決定、規定によりなでしこリーグ準加盟資格も抹消されることになった。代表兼監督の出口はリーグ降格の責任をとって引責辞任した。
2014年、コーチの山口純が監督に昇格、大半の選手が残留し九州リーグに再加入し再スタートとなった。リーグ2位の成績をもって2014チャレンジリーグ参入チーム決定戦に出場。第1週は、つくばFCに0-3、ノルディーア北海道に0-1の成績により自動昇格の権利は逃したが第2週は益城ルネサンス熊本FCに0-2、ディオッサ出雲F.C.に3-0の成績により2014チャレンジリーグ入替戦に出場し2014チャレンジリーグ15位のバニーズ京都と対戦。ホーム0-2、アウェー0-2で破れ九州リーグへの残留が決まった。
2015年、九州リーグの開幕前に社会人選手の多くが退団。中学生・高校生が中心の新チームで臨んだ今季は、1勝もあげることができず、0勝9敗(2引き分け)で12チーム中の最下位に終わった。シーズン終了後に山口監督が辞任した。現在はコーチの中野寛士朗が監督代行をしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジュ ブリーレ 鹿児島」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Je Vrille Kagoshima 」があります。




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